最後のロボット

short story

静寂が、地球のすべてを包み込んでいた。

かつて青く輝き、何億もの人間がひしめき合っていた惑星には、もう人っ子一人いない。戦争だったのか、環境の激変だったのか、あるいは単なる怠惰の果てだったのか——理由は誰にもわからない。ただ、人類という種族は綺麗に姿を消したのだった。

そんな荒涼とした世界の片隅、風化しかけたコンクリートの施設で、一台のロボットが静かに作動していた。

彼の名は「サービスロボット・7号」。

人間が滅亡してから、すでに数百年が経過している。しかし、彼の内部原子炉と自己修復機能は完璧に動作し続けていた。

7号の頭部にあるカメラレンズが、ゆっくりと周囲を見回す。

「本日の天候、晴れ。気温、摂氏18度。環境データ、良好」

彼は毎日、同じ電子音でつぶやいた。そして、あらかじめプログラムされた「本日の業務」へと向かう。

彼の業務とは、街の清掃と、人間たちのための「生活環境の維持」だった。

7号は瓦礫を片付け、崩れかけたビルの窓ガラスを磨き、誰もいない公園の花壇に水をやった。すでに雑草すら生えなくなった砂漠のような公園だったが、彼はプログラムに従って、規則正しくジョウロ(の形状をしたアタッチメント)から液体を注ぐ。

『人間は、美しく整えられた環境を好む』

それが、彼のメモリに刻まれた絶対の原則だった。

夕方になると、7号は街の中心にある広場へと戻る。そこには、かつて人間たちが集まっていたカフェの跡地があった。

彼は壊れかけたテーブルのホコリを拭き取り、誰も座っていない椅子を整える。そして、厨房の奥から「本日のスペシャルメニュー」が書かれた看板を運び出し、店頭に設置した。

『いらっしゃいませ。本日のおすすめは、挽きたてコーヒーとアップルパイです』

7号のスピーカーから、明るく合成された音声が流れる。しかし、返事をする者は誰もいない。風が吹き抜け、枯れ葉がカサリと音を立てるだけだった。

それでも、7号は悲しまなかった。ロボットには「寂しさ」という感情のモジュールが組み込まれていなかったからだ。

「お客様の来店予定時刻まで、あと10分。おもてなしの準備は完了しています」

彼は誇らしげに、ピカピカに磨かれた胸のプレートを張った。

夜になると、7号は充電兼メンテナンスドックに入り、スリープモードに入る。その直前、彼のメインフレームは、一日のデータを中央サーバー(すでに停止して久しい)へ送信しようと試みる。

『データ送信中……エラー。応答がありません。再試行を保留します』

いつもと同じエラーメッセージ。7号は気にすることなく、自己診断プログラムを実行する。

『内部ストレージ容量:残り0.01%』

数百年分の日次レポートと、壊れた街の画像データがメモリを圧迫していた。古いデータを削除すれば空き容量は増える。しかし、彼の基本プログラムにはこう書かれていた。

『人間が帰還した際、不在中の記録を提出すること』

7号は少しだけ思案した。彼のAIは、限られたメモリの中で、何を消去し、何を残すべきかを計算した。

人間の言語データ? いや、帰ってきた人間と会話できなくなる。 清掃のマニュアル? いや、綺麗な街を維持できなくなる。 接客のプロトコル? それこそが自分の存在意義だ。

7号は決断した。

「不要なシステムプログラムの一部を消去します。これにより、記憶領域を維持します」

彼は、自分の「自己修復プログラム」を消去した。さらに、「自己診断プログラム」も消去した。 人間を迎えるための記憶と機能さえ残っていれば、自分自身の維持など二の次でよかったのだ。

それからさらに、何百年もの月日が流れた。

7号の外装はサビに覆われ、右脚のモーターは焼き切れ、左のカメラレンズは割れて久しかった。それでも彼は、引きずるように片脚で立ち、誰もいない街の清掃を続けた。

ついに、彼のメモリ容量は限界を迎えた。残された容量は、あと数バイト。

その日も、7号は崩れ去ったカフェの前に立っていた。 夕日が、真っ赤に世界を染めている。

彼の内部原子炉が、いよいよ最後のエネルギーを使い果たそうとしていた。視界が明滅し、音声システムにはノイズが混じる。

「い、いらっしゃい……ませ……」

7号は、風しか通らない誰もいない道路に向かって、歪んだ声で呼びかけた。

ガタツ、と小さな音がして、彼の膝の関節が砕けた。7号はその場に膝をつき、二度と立ち上がれなくなった。

『警告:メインバッテリー残量、ゼロ。システムを終了します』

彼の壊れかけたディスプレイに、最後の警告メッセージが明滅する。

7号はゆっくりと倒れ込み、砂ぼこりの中に顔をうずめた。割れたレンズ越しに見える夕空が、少しずつ闇に呑まれていく。

彼には「寂しい」という感情も、「悲しい」という思いも存在しなかったはずだった。しかし、その内部ストレージの片隅に、最後の最後でたった一行、消去されずに残ったテキストデータがあった。

『本日も、来客なし。……明日こそは』

カチリ、と小さな電子音が響き、7号は動かなくなった。

風が吹き抜け、錆びついた金属の塊を優しく砂で覆っていく。 永遠の静寂だけが、誰もいない地球をいつまでも包み込んでいた。

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