自然というものは、一度その微笑みを見せた直後に、しばしば冷酷な表情を見せるものである。先日の五発の誘雷大成功という、工学的にはこれ以上ない記念碑的な成果に酔いしれていたのも束の間、下界の私の元に、山頂の山小屋に籠城している先生から一本の連絡が入った。
「そちらの観測装置、完全に停止しているよ」
受話器から流れるその平坦な声は、私の心臓を瞬間的に凍りつかせるに十分であった。あの繊細な電流波形を記録する頭脳が、完全に沈黙してしまったのだ。原因究明と復旧のため、私は直ちに東京の装置メーカーへ連絡を入れ、技術者であるH氏と共に山へと急行した。
登山初心者である私にとって、この日の上山は前回までのそれとは完全に性質が異なっていた。そこには「雷を待つ」というある種のロマンは微塵もなく、ただ「高価な精密機械の蘇生」という、胃を抉られるような技術者の義務感だけが私たちを突き動かしていた。
息を切らせて滑り込んだ観測小屋の内部は、相変わらず薄暗く、何とも言えない緊張感に満ちていた。H氏と私はカッパを脱ぎ捨てるや否や、工具を手に装置の臓物へとアクセスし、様々な電気的アプローチを試みた。回路を測定し、基盤を睨み、あらゆる可能性を検証する。しかし、時間は無情に過ぎていく。
この張り詰めた空気のなか、私たちの視界の隅には、科学の進歩とは完全に切り離された、きわめて熱力学的な空間が存在していた。
大学チームのK教授である。
教授は、私たちが冷や汗を流しながらパニック寸前で基盤を弄っているすぐ横で、ストーブの前にどっかりと腰を下ろし、網の上で「磯辺焼き」を焼いていたのである。小屋の中に漂うのは、緊迫した沈黙ではなく、香ばしい醤油とお餅の焦げる、何とも長閑(のどか)な匂いであった。
じっとお餅の膨らみを見つめていたK教授は、不意にこちらを振り向くと、実に見事な大阪弁でこうのたまわった。
「おい、お前も磯辺焼き食うか?」
こちらが生返事をしていると、教授は小さく首を振った。
「お前はユーモアのわからんやっちゃな」
大学の先生という種族は、時に凡人には理解しがたい独自の精神的キャパシティ(許容量)を持っているものらしい。こちらはデータ欠損という奈落の底を覗いているというのに、教授の頭脳はストーブの熱効率とお餅の粘性率にのみ注がれているようであった。
結局、現地でのあらゆる延命処置は実を結ばず、装置の心臓部を東京の工場へ持ち帰って精密修理するほかない、という絶望的な結論に達した。
私たちは重さ十キロを超える装置の一部を取り外し、私の大きなリュックへと押し込んだ。小屋を出る頃には、山の気候は最悪のトーンへと変わっていた。空からは小雨がパラパラと降り始め、あたりは急速に夕暮れの闇に包まれていく。
濡れて滑りやすくなった険しい山道を、十キロの質量を背負って下りるのは、もはや登山ではなく、重力との泥臭い格闘であった。焦りと疲労から、私たちは文字通り「転げるように」山道を下り始めた。視界は遮られ、足元をすくわれそうになりながら、一歩間違えれば精密装置もろとも斜面を滑落するという恐怖がつきまとう。
「すいません、重いでしょう。交代しましょう」
H氏が闇の中で声をかけてくれる。
数十分おきに、無言でリュックを交換し、お互いの肩にのしかかる重みを分け合う。研究成果という言葉が頭の中をめぐり、少しでも早く修理したいと考える私の執念と、メーカーの技術者としての責任感。男二人の、言葉にはならない技術者としての絆が、小雨に濡れた手のひらを通じて、確かにそのリュックの取っ手から伝わってきた。
汗と、雨と、そしてあの香ばしい磯辺焼きの匂いの記憶が奇妙に混ざり合う、あの暗い下山路は、私のエンジニア人生において、最も過酷で、最も人間味に溢れた夕暮れの記録である。


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