十月の終わりごろ、いよいよ送電鉄塔に観測装置を取り付けるため、私は二十代の若い電工さんたちと共に、約一週間の予定で再びあの山へと向かった。
電工さんたちというのは、日頃から過酷な現場で鍛え上げられている、いわばエネルギー過多の若者たちである。とにかく体力が有り余っているのだ。山の登り口に集合したかと思えば、重い機材や工具を抱えているにもかかわらず、まるで徒競走でも始めるかのように、お互いに競いながら山道を軽快に登りはじめてしまった。彼らの異次元の推進力に付き合えるわけもなく、あっという間にその背中は木々の向こうへと消え去っていった。
三十代の終わりに達したお山初心者の私は、こまめに休息という名のエネルギー再充填を挟みながら、一歩一歩這い上がるように登るほかない。結局、私が山頂に辿り着くには二時間以上の時間を要した。
あまりに遅い私を心配したのだろう、電工チームのリーダーであるGTさんが、なんとわざわざ一度登った山を下りて私を迎えに来てくれた。彼は息一つ切らさず爽やかに笑うと、私の重いリュックをひょいと奪い取り、二つ分の荷を涼しい顔で担いで再び山を登っていく。私はただ茫然として、彼の頼もしい後ろ姿を見送るばかりであった。
しかし、ようやく辿り着いた観測小屋の扉を開けた瞬間、私を待っていたのは、大自然による手厳しい「洗礼」であった。
薄暗い小屋の中へ入ると、天井から何やら細長い紐のようなものがいくつか不気味に垂れ下がっている。誰かのリュックのストラップか何かが引っかかっているのだろうか――そう思って視度に焦点を合わせた次の瞬間、私は全細胞が凍りつくのを感じた。
蛇の抜け殻であった。
それも一つや二つではない。天井の隙間から、まるで老舗の暖簾(のれん)のように何本もぶら下がっているのだ。何を隠そう、私は生物学的にこのような這い回る生き物が、昔から大嫌いなのである。ただでさえ登山で疲労困憊のところに、この視覚的刺激は凄まじく、めまいがするような精神的衝撃を受けた。
一刻も早く、一分一秒でも早くこの魔山を下りたい――心の中で激しい悲鳴がリフレートしていたが、無情にもこれから約一週間、ここでの籠城生活が決定している。
さらに、小屋の居住空間も人間工学的に見て凄まじいものであった。私たちの寝床として用意されていたのは、狭い空間を限界まで有効活用した「三段ベッド」である。私の割り当てられた最下段は、天井が異様なほど低く、寝返りをうつのが関の山。朝目が覚めても、上体を起こして起き上がることすらできない。それはベッドというよりは、高度に圧縮された人間格納庫のようであり、カプセルホテル以下の圧迫感に私は絶望した。
精神的にも肉体的にも限界を迎えそうになっていた私を救ってくれたのが、先ほど山道でリュックを担いでくれた、電工チームのリーダー「GTさん」であった。
彼は当時、まだ二十七歳。私よりも一回りも若いはずなのだが、どういうわけか百戦錬磨の職人のような風格と、老成した貫禄が備わっていた。本人が苦笑しながら語るには、以前ある業者と工事の打ち合わせをしていた際、ビジネスマン同士として丁寧に対応していたのに、話の流れで「あ、僕二十七歳です」と実年齢を明かしたとたん、相手の態度がガラリと変わり、あからさまに先輩風を吹かせてきたという。
ちょっとした世間話だが、彼の語るユーモアは絶妙であった。
夜、ストーブを囲みながらGTさんが披露してくれる、絶妙なぼやき節や笑い話は、冷え切った山小屋の空気をいつもドッと温かい空気の対流へと変えてくれた。
天井には蛇の抜け殻、ベッドに入れば起き上がることもできない監獄。もともと純度百パーセントの「いやいや」で山に来ていた私にとって、GTさん達が届けてくれる世間話は、張り詰めた緊張をフッと緩めてくれる、何よりのオアシスであった。この貴重な時間があったからこそ、私は心を和ませ、折れそうな理性をなんとか繋ぎ止めて、激しい一週間の共同生活を笑顔で乗り切ることができたのである。


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