私が初めて「奥獅子吼山(おくししくやま)」の山頂を目指すことになったのは、30代後半の秋の日のことであった。
そもそも私は生粋のインドア派エンジニアであり、運動生理学的に見ても、お世辞にも体力に自信がある方ではない。それまでの人生において本格的な登山経験などただの一度もなく、精神的にも肉体的にも完全なる「お山初心者」であった。そんな脆弱な人間が、会社の業務命令という抗えない絶対権力によって、いきなり冬の猛烈な雷雲が吹き荒れる過酷な山の頂へ赴くことになったのである。
不満がないわけがない。私の心の中は、純度百パーセントの「いやいや」という感情に満たされていた。憂鬱という名の重石が、出発前から私の胃を圧迫していたのである。
山の入り口に立った私を案内してくれたのは、会社の後輩であった。彼はすでにこの山に何度も登っており、慣れた足取りで先を歩いていく。
そして、登り始めてすぐに、私は己の浅はかさと日頃の運動不足を激しく呪うこととなった。傾斜は私の貧弱な想像力をはるかに超えてきつく、私の鈍りきった心臓はドラムの乱れ打ちのごとく早鐘を打ち、太ももの筋肉はまたたく間に悲鳴を上げた。一歩進むごとに全身から滝のような汗が噴き出してくる。メガネは蒸気で真っ白に曇り、視界は完全に機能停止。朦朧とする意識の中でただひたすら足元を見つめ、斜面を這うように進む。ハァハァという、まるで瀕死の野獣のような自分の激しい息遣いだけが、静かな山林に虚しく響いていた。
そんな限界寸前の道中、鬱蒼とした木々の向こうから、奇妙な音響が響いてきたのは中腹を過ぎたあたりのことであった。
――トントントン、ドンドンドン……。
それは、低くお腹の底に響くような、不気味な太鼓の音であった。規則正しく、だけどどこか不穏な周期。周囲を見回しても、静まり返った木立があるだけで、人影などどこにもない。
私はぴたりと足を止めた。前を歩いていた後輩も、同時に足を止めていた。
静寂に包まれた山の中で、私たちは思わず無言で顔を見合わせた。お互いの目が、「今の、聞こえたよな……?」と、声なき動揺を語り合っていた。都会の喧騒では絶対に遭遇しない、実に不可解な「山の怪音」である。ただでさえ体力が底をつき、心細さが極限に達しているところに、その不気味な響きが背筋を駆け抜けた。
何かの秘密結社が、この山奥で怪しい生贄の儀式でも執り行っているのだろうか。それとも、山神そのものが私たち愚かな人間を拒絶しているのだろうか。あるいは、特殊な地形と風の悪戯が起こした、未知の音響物理現象なのだろうか。
結局、その音の物理的な正体は判明しないまま、私たちは再び重い足取りで歩き出した。
ようやく目的地の山頂付近に辿り着いたときには、私は文字通り汗びっしょりの、極めてみすぼらしい濡れネズミと化していた。カッパの中のシャツは皮膚にべっとりと張り付き、冷たい秋風に吹かれると小刻みに震えが止まらない。二時間を超える登山は、私にとってまさに命がけの大格闘であった。
疲労困憊で這いつくばる私を待っていたのは、寒風の中に広く開けた平地と、そこに無骨にそびえ立つ、高さ60メートルの寸胴型の鉄塔。そして、プロジェクトの最前線となる小さな観測小屋であった。
ここが、私の技術者人生を大きく変える、あの激しくてトホホな冬の劇場の舞台だったのである。


コメント