エピローグ

essay

幾度もの冬の激しい雷を受け止めてきたあの老鉄塔は、もうこの世に現存しない。私が初めてあの山へ登ってから、わずか五年でここでの観測はその役目を終えたのである。

その五年という歳月のあいだには、実にいくつもの失敗があった。思うようにいかぬ自然の非情さを前に、私たちはただ立ち尽くすことも多かったが、同時に、天の雷を手繰り寄せる鮮やかな成功の瞬間もあった。いま振り返ってみれば、あの山頂で凍えながら集めた泥臭いデータは、現代のインフラを守る雷害対策や、放電現象を解き明かす学術の進歩のために、確かな一石を投じたのだと、静かな自負を覚える。

また、あの狭い山小屋のストーブを囲み、雑多な話に花を咲かせた学生たちも、いまはもう立派な大人となり、社会のそれぞれの場所で、それぞれの目的を持って歩んでいるに違いない。

鉄塔と観測小屋が完全に撤去され、山が元の姿に戻ってから、私は一度だけあの場所へ登ってみたことがある。

主を失った山頂は、私たちが血気盛んに駆け回っていたあの頃とは、まるで違った静けさに包まれていた。あまりの様変わりように、一瞬、あの熱い冬の日々は自分の脳裏が描き出した幻影だったのではないかとすら思われた。

しかし、足元にふと目を落としたとき、私は胸が締め付けられるような、懐かしい感覚に囚われた。

そこには、あの頃と全く変わらない姿で、紫色のカタクリの花だけが、静かに、そして健やかに咲き乱れていたのである。

人間が何を企て、どれほど山頂で騒ぎ立てようとも、自然はただ独自の営みを淡々と繰り返していく。あの無骨な鉄塔も、私たちの若き日の熱狂も、すべては山の記憶の底へ吸い込まれていったが、あの可憐な花だけは、あの頃と同じように、今も春の訪れを静かに告げている。

その変わらない紫の色調を見たとき、私は、あの山で過ごした日々が確かにこの地上に存在したのだと、深く静かに救われるような心持ちがしたのであった。

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