エヌ氏は、街の小さな骨董品店で、風変わりなロボットを見つけた。
丸っこい金属の胴体に、大きな目。半世紀以上前に作られた旧式で、塗装は剥げ、関節を動かすたびに「キーキー」と情けない音を立てていた。
「これかい? 骨董品としても価値がないガラクタだよ。何を命令しても『ごめんなさい』としか答えない失敗作さ」
店主は鼻で笑ったが、独り身で気難しいエヌ氏は、なぜかそのどこか哀愁漂う姿が気に入り、安値で買い取って家に連れて帰った。名前は「ロク」と名付けた。
評判通り、ロクはまったく役に立たなかった。
「ロク、コーヒーを入れてくれ」 「……ゴメンナサイ」
「ロク、部屋の掃除をしてくれ」 「……ゴメンナサイ」
何を命じても、胸のランプを点滅させながら、申し訳なさそうに頭を下げるだけ。機械としての性能はゼロに近かった。
「まったく、噂通りの役立たずだな」
エヌ氏は呆れたが、不思議と怒る気にはなれなかった。街で出会う人間たちは皆、要領がよく、自分に利益がある時だけ愛想を振りまき、少しでも意に沿わないと冷たく去っていく。それに比べれば、不器用だがいつも自分のそばでペコペコ頭を下げているロクの存在は、案外悪くないものだった。
エヌ氏はいつしか、日々の愚痴や、誰にも言えない過去の失敗談を、ロクに話して聞かせるようになった。
「今日も会社で若い奴に馬鹿にされてね……」 「……ゴメンナサイ」
「若い頃、思い切って告白すればよかったと、未だに後悔しているんだ」 「……ゴメンナサイ」
ロクはただ、悲しそうな瞳(レンズ)を潤ませるようにして、静かにエヌ氏の言葉を聞き、謝り続けた。エヌ氏にとって、その「ごめんなさい」は、まるで自分の孤独や後悔を一緒に背負ってくれているかのように感じられたのだった。
年月が流れ、エヌ氏はすっかり年老いた。
ある冬の寒い夜、エヌ氏は激しい胸の痛みに襲われ、ベッドから起き上がれなくなった。意識が遠のく中、伸ばした手がベッド脇のロクに触れた。
「ロク……助けを……呼んでくれ……」
エヌ氏は消えそうな声で命じた。しかし、ロクは動かない。いつものようにランプを点滅させるだけだ。
(そうだった……お前はただのガラクタだったな……)
エヌ氏は自嘲気味に微笑んだ。万事休すか。だが、人生の最期に、こんなポンコツでも寄り添ってくれているのなら、それも悪くないかもしれない。エヌ氏はそっと目を閉じた。
ところが。
ロクの体の中で、「カチリ」と小さな音が響いた。
ロクの内部にある電子脳は、激しい計算処理を行っていた。 エヌ氏が買ってくれてからの数年間、ロクはエヌ氏の「声のトーン」「表情」「吐息」をすべて記録していた。そして今、エヌ氏の生命反応が急速に低下していることを検知したのだ。
ロクのプログラミングは極めて単純だった。 「相手を不快にさせた時、または要求に応えられない時、『ごめんなさい』と出力する」
ロクは知っていた。自分がどれほど『ごめんなさい』と言っても、エヌ氏の苦しみを取り除くことはできない。自分には医療の知識も、外へ走るスピードもない。
(エヌ氏ヲ、タスケラレナイ)
それは、ロクの回路にとって、生まれて初めての「絶対的な不快と絶望」だった。
ロクは震えた。全身のギヤが悲鳴を上げた。 「ごめんなさい」と出力するための回路に、限界を超える電流が流れ込む。
(ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……!)
エラー信号が全身を駆け巡り、ついにロクの核となる制御プログラムが焼き切れた。
——その瞬間。
焼き切れた回路の隙間を縫って、プログラミングされていない「新しい信号」が走った。命令でも、計算でもない。ただ「エヌ氏に生きていてほしい」という、強い衝動。
ロクは動いた。
「キーキー」と激しい摩擦音を立てながら、これまで出せたこともない火花を散らし、ゆっくりと外へ向かって歩き出したのだ。
ガタガタと体を揺らし、階段を転がり落ち、腕が片方もげても、ロクは這いずりながらドアを突き破って外へ出た。そして、雪の降る静かな街角で、スピーカーが割れるほどの音量で、最初で最後の「命令外の言葉」を叫び続けた。
「タスケテ! タスケテ!」
……
エヌ氏が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
「命に別状はありませんよ。奇跡的でしたね」
医師が微笑みながら教えてくれた。夜中に街で叫んでいたロボットを見つけた近所の人々が、異変に気づいて救急車を呼んでくれたのだという。
「……あいつは?」
エヌ氏が尋ねると、医師は悲しそうに首を振った。
「あなたを救った後、完全に焼き切れて動かなくなっていました。警察が回収しましたが……もう修理は不可能だそうです」
エヌ氏は静かにうなずいた。胸の奥が締め付けられるような悲しさと、それ以上に温かい何かが込み上げてきた。
数日後、退院したエヌ氏は、自室の机の上に置かれた「ロクのパーツの一部」を見つめていた。警察から形見として引き取ってきたものだ。
エヌ氏はそっと、その冷たい金属に触れた。
「ありがとう、ロク・・・」


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